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​Dr. Amy Yaskoプロトコールによる改善ストーリー

​米国

以下に掲載している改善ストーリーは、Dr. Amy Yaskoの著書「Autism : Pathways to Recovery」より翻訳掲載しております。

Jonathan’s Story​(ジョナサンの物語)

私たちの息子ジョナサンは2002年3月に産まれました。大きな目を持ち大きな泣き声とともに3289kgの男の子として完全に健康に生まれてきました。病院での最初の夜、特に問題もなく母乳を摂っていました。次の日、看護士はB型肝炎ワクチンを接種させるために彼を連れて行きました。このことが今後の困難な生活の始まりのきっかけになるとは思いませんでした。その夜、彼は胸をしっかり握る能力を失いました。彼を助けるために毎週戦いました。そして週5日間はジョナサンを様々な専門家に診てもらい看護の方法を再学習しました。波乱の始まりにもかかわらず、ジョナサンは普通に発達しているように見えました。彼はとても幸せでいつも笑いそして従事していました。しかし私は彼がワクチン被害の影響を受けやすいひとりであると信じるようになりました。なぜならワクチン接種をするたびに彼の行動は変化したからです。彼はしばしば非常に病的になりました。ジフテリア/破傷風ワクチン接種後、彼は低い筋緊張が起き、体をうまくコントロールできなくなりました。彼は10ヶ月間這いました。そして16ヶ月後に歩けました。9ヶ月の時点で彼は肺炎に罹りました。病院にいる4日間の間、彼は抗生物質の静脈内投与を受けました。1週間後、彼はインフルエンザの予防接種を受けました。数日以内に、彼は人々に体する強い不安感を得るようになり、私たちを除く誰一人ともふれあうことを望みませんでした。

ジョナサンが13ヶ月を過ぎた頃、彼はMMRワクチンを接種しました。その同日に彼は看病する能力を失いました。彼は数字・文字・Baby Einstein映画に取り憑かれるようになりました。彼の遊び方は変わりました。彼は遊ぶふりをしませんでした。実際には、彼は遊び方を知っているようには見えませんでした。しかし彼まだ繋がっているようでした。私たちと笑い合ったり、アイコンタクトをとっていました。それが彼が私たちに望むことのポイントのようでした。18ヶ月の時、彼はおもちゃのコンピューターの中の数字や文字に取り憑かれるようになりました。彼は話さなくなりました。

私たちは私たちの信頼する小児科専門医に話しました。「男の子が言葉の発達が遅いのは普通です。」と彼は私たちに話し、待つように促しました。ジョナサンは23ヶ月の時に最初に話しました。彼の最初の言葉は「down」でした。その時には彼は26ヶ月でした。彼は数字や文字にとても取り憑かれていました。彼は語彙はほとんどありませんでした。しかし彼は10まで数えることができました。そしてアルファベットの全体を知りました。彼はドアの開け閉め・トイレの水を流す・照明スイッチon/offに取り憑かれました。しかし彼は他の子供達とは遊びませんでした。

27ヶ月の時、彼は2回目のインフルエンザワクチンを接種しました。そして28ヶ月の時にも接種しました。彼の言語や行動は途方もなく退行しました。彼は恐ろしい癇癪を起こしました。それら症状はとても厳しくどこかへ出かけることなど不可能でした。誰も彼に触れることはできませんでした。大きな音は彼をうるさがらせました。彼は好き嫌いが多くなりました。彼の反復行動や奇異的で脅迫的な行動はさらに多く激しくなりました。彼は他の子供達と遊ぶことを望みませんでしたそして一匹狼のように見えました。彼は名前に答えなくなりましたし、私たちをより直線的に見るようにもなりました。しかしもっとも大きな問題は話し言葉をもはや理解できなかったことです。

30ヶ月の時にジョナサンは小児精神科医により中等度から重度の自閉症であると診断されました。

33ヶ月の時に、私たちはAutism Research InstituteのDefeat Autism Now !(DAN)プロトコールを実施している代替医療のクリニックへの旅を始めました。しかしながらジョナサンは手強い子供になったように見えました。そして私たちが望んでいたよりも早くは前進しませんでした。40ヶ月の時、わたしの友達が私にYasko’s Puzzle of Autism bookを紹介してくれました。わたしはとても興味を持ちました。なぜならとくに彼は多くの子供達のようにはメチルB12皮下注射に許容できませんでした。Dr. Yaskoの本にはそれに関する説明が書かれていました。私は遺伝子検査を実施することを決めました。そして私ができる限りで彼女のDVDでから学びました。遺伝子検査の結果を得て、私はアンモニアプロトコールを実践しました。その時の真実です。私は彼にメチルB12皮下注射を実施しました。そして驚くことに彼はそれを許容できました。

彼はそれを許容できただけでなく、1週間後、彼はお風呂場に来て父親が歯磨きをしているのを見て「お父さん、何をしているの?」と言いました。彼の父親は心から驚愕しました。ある日、私たちは「Yasko」信者になりました。それから私たちは彼女のプロトコールを実践しました。ジョナサンは大きく改善しました。連鎖球菌へのプロトコール・アンモニアプロトコール・器官のサポート・彼女のプロトコールSTEP2を実施してからとくに大きな改善がありました。しかし私は毎週実施するテストの意味を知りませんでしたが、彼のかつてないほど解毒している尿をテストすることであると知りました。2007年初旬、私たちは高濃度酸素療法を実施することを決めました。それは驚異的な介入でした。そしてジョナサンをさらなるレベルへと導きました。ジョナサンはハードチャンバー160時間をコンプリートしました。私はHBOTへの彼の良い反応は解毒のためであり、Dr. Yaskoプロトコールを経験した彼の体を癒してると確信しました。

今日、彼は9歳半です。公立学校に通い1年生をメインとして1日1時間サポートしています。彼は社交的で幸せそうに従事しています。彼はテコンドーで紫帯です。彼は登ることがとても好きで、妹とごっこ遊びをすることがとても好きです。そして彼はとてもかわいらしく、わたしたちとハグをしたりキスをしたりすることが好きです。私たちは普通の家族として生活しています。レストラン、友達の家、公園、アミューズメントパーク、映画、図書館。そしてDr. Amy Yaskoプロトコールメチレーションサポートを実施し続けていますが、まだ言語の問題や注意の問題を持っています。しかし彼は今、しっかりと将来を持っていると、私はわかっています。

私はDr. Yaskoが私たちに与えてくれる知識を十分には考え理解することはできませんでした。彼女のプロトコールはとても効果的です。このプロトコールは献身・忍耐・高いレベルの生化学的な理解を必要とします。しかし、それは最善の統合的なアプローチです。子供達にとってとくに、回復するための食事がより必要です。Dr. Amyありがとう。私たちはあなたなしでは成し遂げることはできませんでした。

 

ジョナサンの家族

Luke’s Story(ルークの物語)

ルークは私たちの最初の子供で家族は皆、ルークを愛していました。私たちは多くの希望や夢を抱いていました。私たちは彼が発達における一里塚(寝返り・座ること・這い這い・歩く事)を通過することにわくわくしていました。私は彼のために野球のティーやバットを購入し、私とともに野球を愛する事を共有することを望んでいたのを覚えています。12ヶ月の時、彼は美しく・幸せで・くすくす笑う・小さな少年でした。それ以来の私のお気に入りの写真の一つは、戸口で大きな笑顔で覗き見するルークです。彼は隣のドアから私たちと「いないいないばあ」で遊んでいました。

数ヶ月後、彼の行動が変化し始めました。彼の名前を呼んでも、もはや私たちには答えませんでした。彼はおもちゃで遊ぶ代わりに、線の上に物を集め、しばらくおもちゃの周りを走ります。ルークはしばしば癇癪を起こします。そしてほとんどの場合、私たちはその理由がわかりません。近所の友達が話しかけている間、彼は言葉が出ませんでした。彼は自分自身の小さな世界にいるように感じられました。

この時期に、私たちは彼のかかりつけの小児科医や聞き耳をたててくれる人にも懸念を言い表しました。何度も繰り返して、私たちは同じメッセジーを受け取りました:「彼は少年だ。少年は少女に比べて発達が遅い。6ヶ月になるまで待って様子を見てはどうでしょう。」私はとても無力に感じました。母親として、私は彼の発達遅延に責任を感じ、私は間違った事をしたのか、どうしたら彼を助ける事ができるのかと疑問に思い続けました。

3歳までいかない頃、私たちは彼には助けが必要であると、彼のかかりつけ小児科医を確信させた後、かかりつけ医は私たちに言語聴覚士を参照することに同意しました。ついに、彼は定期的にいつくかの言葉を使い始めました。私たちは彼に必要であったこのジャンプスタートに希望を抱きました。そして間もなく私たちは言語の崩壊を経験するでしょう。彼のメルトダウンで結果的に私たちとコミュニケーションをとれなくなるかもしれないと思いました。言語の増加はその問題を解決するでしょう。しかし、彼の言語やコミュニケーション能力の発達がうまくいかず3歳の標準的なレベル以下であった時に、これらの希望は瞬く間に色あせました。彼の7ヶ月の妹は、高いレベルで会話しています。

ルークは地区の幼児プログラムの学校に通う資格を持っていました。彼は会話の中で小さな利益を得ていました。しかし、彼は友達と遊んだり、コミュニケーションを取ったり、私たちに助けを求めたりすることができません。神経科医は彼を自閉症と診断しました。しかし、彼を助けるための指示は与えられませんでした。ルークが終始泣き叫んだ残念な医師のアポイントメントの後、私たちの素晴らしい隣人が書房での新しい本の棚で見つけた2冊の自閉症の本を教えてくれました。それらの一つがDr. Amyの本「The Puzzle of Autism」でした。それを読んだ後、私に多くの希望が満ちてきました。

私たちはルークが5歳半の時に、Dr. Amyのプログラムを開始しました。遺伝子検査の結果を待っている間に、私たちはTOP STEP ONEのサプリメンテーションを開始しました。数ヶ月後、ルークの学校での行動の良い変化について話してくれるようになり始めました。会話における彼の改善として、彼は穏やかになり、不安が減少し、「ルーティーン」スケジュールの変更が可能になりました。11ヶ月の彼が最初に話した時に私たちが感じた興奮は、私たちの小さな少年が「回復へ向けて最初のステップを踏み始めた行動の変化が認められた」という興奮に比べると何もなかったように思います。

私たちはSTEP 1に9ヶ月を費やしました。定期的に検査を実施し、Dr. Amyの提言をもとに彼のサプリメンテーションを微調整しました。ルークは改善しました。しかし、プロトコールのSTEP 2を開始する事はいくつかの後退を起こすかもしれないということを私たちは知っていました。STEP2ではウィルスや重金属を解毒します。そしてその事が操作がとても難しい後退と関連します。しかしながら、定期的な検査によって私たちは彼が金属を排泄する方法を確認することができました。それは魅力的でした。最初、金属は全く出てきませんでした。サプリメンテーションの増加にともないその排泄レベルが増加し続けました。重金属の排泄が行動と関連している事は、少しの簡単な厳しい時間を作りました。STEP 2を実施して2年後、私たちは今、プログラムの最終段階に取り組み始めています。

今日のルークは今までとは別人です。2年生で、彼は指導補佐官の助けなしで学習しています。休憩時間にはスティックや電車で遊ぶ代わりに、他の子供達と対話したりチームゲームで遊んだりしています。そして休憩時間や放課後にはどう思っているかを説明してくれます。彼はカブスカウトに参加しました。そして春には初めて野球をすることを待つ事ができません。彼の会話は日に日に改善しています。

Dr. Amyは私たちの息子を治すための手段を与えてくれました。彼女は、様々な検査結果を評価しながら、質問に答えながら、そして回復への道を導きながら私たちと一緒に長く困難な旅をしてくれました。私たちは最終的に自閉症の制限から解放された能力を持っているように思われる幸せな少年を家族にもつことにとても感謝しています。

 

Matt and Marcy Walsh

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